インドネシア留学生活を振り返って
約2ヶ月半程前に大学から突然1通のメールが来た。
「コロナウイルス流行の状況を見て全学生に帰国指示を出します。」
正直すごく悔しかったし、めちゃくちゃ泣いた。インドネシアという土地を突然離れなければいけない事になって泣いた時にやっぱり頭に浮かんできたのはサッカー部をはじめとした現地で出来た友達の事だった。
人を想ってこれだけ涙を流せるほど自分は国籍も言語も違う彼らに心を許して仲良くなり、一緒にいる時間を心から楽しんでいたんだと自分の涙で再確認した。
なので、インドネシアで自分が感じた【人】との経験をとにかく書き並べて記録として残しておこうと思う。
そういえば、自分の3日坊主癖が出て(笑) 留学開始直後に毎月書くと言ったブログも1回で終わっちゃってて反省しているのでここにはしっかり書ききっていきたいと思う。
そもそも自分が留学に来た目的として持っていたのはとにかく現地コミュニティに馴染みたい。たくさん友達を作りたい。その中で色々感じとりたい。っていうもので、正直勉強の面なんかは二の次ぐらいに考えてた。
(留学ということを考える契機に関しては次の記事で書いてみた。)
現地に着いて
さぁ、どうやって自分の目的を達成して行こうかって考えた時に、やっぱりサッカーしかない!ってすぐ思った。
友達経由でひとつフットサルコミュニティを紹介してもらって、そこは1週間に1度の練習だったしみんなでワイワイって感じだった。初めての時はとにかく現地人とフットサルをすること自体が新鮮だから自分も楽しんでいて、せっかくの留学でもっと遊ぶ時間とか自由な時間も確保したいからそれぐらいでいいかなぁって思ってた。
だけどなんとなく心の中でそれだけじゃダメな気がするとは思ってはいた。
その時に現地で出会った日本人の先輩が一足先に大学のサッカー部に参加していてその練習に誘ってくれた。
最初はめちゃめちゃ緊張して、勝手に頭の中でチームに対する悪いイメージを膨らませてた。(怖くて無愛想な人多いのかなみたいな笑)
すでに出来上がっているコミュニティに急にスポンって入るのはどんな時だって緊張するし大変なことだと思う。ましてや今は国籍も違う。
だけど部室に初めて顔を出したらめちゃめちゃフレンドリーな人ばかりで自分の勝手な妄想を恥じるほどだった。会ったら毎回必ず最初に握手するけど、これって現地で毎日何気なくやってた気がするけどちゃんと考えると心を通わせるっていう意味でもすごくいい気がするし日本でも取り入れて欲しい(笑)
初めて参加した日、練習かと思いきやいきなり外部の大学との練習試合の日だった。
そして背が小さくて怖そうな監督にポジションはどこだと聞かれ、右サイドバックと答えた。この受け答えはまだ覚えている。
(監督Pak DiDi:今ではユーモア溢れる面白い監督だと分かっている笑)
そしていきなり試合に放り出される。
でも出るとなったら全力でやろうと、自分の持ち味であるとにかく走り続けるプレーを徹底した。
試合を終えて、プレーを通してさらにみんなと近づけたんじゃないかなとなんとなく感じた。
くさいけど
やっぱりスポーツってすごい。サッカーやってきてよかった。って感じた笑
その日の試合が終わると「部活に入部しようかなどうしようかな」、なんて考える暇もなく「次の練習が楽しみだな」っていう気持ちに変わってた。
それから何度目かの練習で、1人の部員に声をかけられた。「お前、FIB(所属学部の名前)だろ?俺もFIBで、学部のサッカー・フットサル部の監督をやってて、数ヶ月後に学部対抗の大会があるんだよ!明日練習来いよ!朝7:30な!」って言われて「早っ」と思ったけどまあ暇だし行こうかなって思って次の日の朝早起きして10分前に練習場所に着いた。
「・・・誰もいない。まあまだ時間じゃないしな、、(10分後)・・・誰も来ない、、、(30分後)・・・あ、誰か来た」
こんな感じだった。普通に自分が場所を間違えたかと思ったけど今考えるとこれが現地人感覚だ笑
そして昨日めっちゃかっこよく誘ってくれた監督は練習に来なかった。このやろう。笑
本来の練習開始時刻7:30から結局1時間ほど経ってようやく5人ほど集まって練習開始になった。時間のルーズさすさまじいなって思った。笑
だけどそんなに開始遅れたのに練習に入る前は入念に30分ぐらいジョギングとストレッチしててかわいいなって思った、、笑
そんなこんなでその日のトレーニングはただただみんなでワイワイボールを蹴って落ちてる木を集めてゴールを作ってミニゲームとかもした。グダグダすぎて、大会見据えてるならこりゃダメでしょ、、、って感じたけど
彼らは何よりめちゃくちゃ楽しんでた。笑顔だらけだった。そこで自分も少し嬉しい気分になった。
その日は10時くらいに練習を終えて、みんなでご飯を食べようぜって話になっていて、なんだかよくわからないけど誘われたから元気にOK!って答えた。
みんなで、大学の学食にいって、ソトっていうシャバシャバなおかゆみたいな現地フードを初めて食べた。
その時の味はいまだに結構ちゃんと覚えている、めっちゃ美味しかった。
こんなに何人ものインドネシア人に囲まれてインドネシア語しか聞こえない中でご飯を食べるのはその時が初めてだった。
何を話してるのか本当にさっぱりだったけど、なんか楽しかった。そう覚えている。
日本のこと、特にアニメのことを色々聞かれたけど自分がアニメに詳しくなくて答えられず申し訳なかったのも覚えている。笑
そして自分も帰る頃にはこの会話に絶対入れるぐらいインドネシア語話せるようになってやるぞと意気込んだ。
そのご飯の帰り、チームメイトに家はどこだと聞かれ、住所を言うと、元気ボーイが(学部代表バンドのボーカル)「乗せてってあげるよ!」と即答で言ってくれた。
分からないけど日本で同じ状況だとなんとなくスッと先に帰ったり躊躇したりする人も多いんじゃないかなと思う。だけどそうやって何の見返りも求めず人の役に立てる所が本当に素晴らしいと思ったし、ますます自分もそんな人間になろうと思わせてくれた。
それはフィリピンの時にも感じた部分だけどやはり東南アジア人のすごく好きな人間性のひとつだ。
それからは学部のサッカー部の練習・試合、学部のフットサル部の練習・試合、大学のサッカー部の練習・試合まで多い時は週に5回も活動した時もあったけど全く苦じゃなかった。
めちゃめちゃ楽しかった。部活に加入して良かったと心から思えた。
そうして毎週朝早起きして練習や試合を積んでようやく迎えた学部対抗のサッカー大会。
初めての練習の時あんなにグダグダでどうなることやらと思っていたけど初戦の日の朝はすごくピリピリしていて、あの時と比べると、どうしたみんな、って思う程だった。笑
無事初戦突破。
そこからチームは勢い付いていき、
結果は20チーム中
チーム初のベスト4
最後に負けてしまったのは悔しかったけどトーナメントでここまで勝ち上がって来れたのはすごく嬉しかった。
この大会を通していくつか感じたことがある。
現地大学生のサポーターの熱量が半端じゃない。笑 言い方が少し悪く聞こえるかもしれないけどただの学部のチームのためにそんなに選手以外も熱量を注げるってすごいなって思った!日本だったら絶対ない気がする笑
このサポーターがいるおかげで、雰囲気はただの球技大会ってもんじゃない感じになる
↑優勝チームのサポーター
そして自分はこの大会で得点王になった。
なんか実感は無かったけど嬉しくって、今振り返るとこのことがすごく自分のその後をプラスの方向にどんどん変えていった気がしている。
というのも、この大会にはそれぞれの学部の代表としてたくさんの大学のサッカー部の友人が参加していた。
この結果でどんどんチームメイトに認めてもらえていった気がした。大学サッカー部の練習の中でもチームメイトとの距離がグッと近づいたようなそんな感覚だった。
そして2つ目は、ある1人の友人の存在だ。
得点王を取ったその日敵チームのカメラマンをしている学生が話しかけてきてくれた。
日本のことも好きで、話も弾みその日のうちに連絡先まで交換した。
つい先日、「近々日本に留学するための試験に挑戦するから色々日本の教育のことを教えて!」ってメッセージを送ってきていた!
彼と日本でまた一緒に遊べることをすごく楽しみにしている!
彼との出会いから、まさにサッカーが人と人とを繋いだ瞬間だと感じた。
そして次には学部対抗のフットサルの大会がやってきた。
この大会に向けてもみんなで練習や試合を積んできて満身創痍で初戦に挑んだ。
相手は
Geography
友人の長身イケメンオランダ人擁する強チームだった。彼にまず2点を取られて、なんとなくチームみんながもう終わったという雰囲気だった。
だけどそこから1点、また1点と取り返していき、気づいたら3-2で勝っていた。
みんなでめちゃくちゃ叫んで喜んだ。最高だった。
そこからチームは軌道に乗って、気づけば決勝まで来ていた。
相手はサッカーの部でも優勝した
「VOKASI」
ちなみに相手キーパーは大学生ながらインドネシアのプロチームでプレーしている爽やかボーイ Fani だ。
結果、勝利。そして学部史上初の優勝。
試合終了のホイッスルが鳴った時、かなり痺れた。こんなに心を震わす経験は自分の人生の中でも数回しかないと思う。少なくともサッカーを通したものはこれが最後じゃないかな
心の中ではもうこの大会をただの学部対抗の球技大会だとは全く思ってなかった。
そして、こんなに最高の仲間と優勝できたのは一生の思い出になると心から思った。
大学のサッカー部で活動して日本との違いとしていくつか感じたことも書いてみたい。
やっぱりさっきも書いたけど時間にはルーズ、良く言えばマイペース(笑)そして練習の参加率もそれほど高くはない。そこが日本の大学との1番大きな違いかなと思った。
でも実際に自分が感じた葛藤として、たった1年間留学しに来た日本人が時間のことをとやかくいうのはチームメイトであるインドネシア人たちの特色とかマイペースさとかを否定してしまうようであまり言いにくかったというのがあった。
だけど、時間を守るって当たり前のことじゃないかって感じる自分もいながら、土地によって当たり前は違うよなとも思って、何が正しいのか分からない時期が続いた。
そこで、結果的に辿り着いたのがすごくシンプルだけど自分がしっかり毎回の練習に遅れずに参加するっていうことだった。そして練習が始まる前にはグラウンドに入ってボールを蹴るようにした。
とにかくこれを続けたら、監督から褒められることも増えたり、同じようにしてくれるチームメイトも増えていった。
そして帰国する頃にはそういう面で規律をもたらしてくれたって評価してくれるチームメイトがたくさんいて、自分がやっていたことは間違っていなかったのかなと思えた。そして何より、行動で示していたつもりの彼らへのメッセージがしっかり伝わっていたことを確認できて益々嬉しかった。
他にも人間関係で自分が感じた事がある。
大学の1学期と2学期の間の休みの時期。部活も休みの期間があり、今までは部活に所属して、本当にたくさんの人と関わりを持って充実していたように感じたけど、その部活がすっぽり抜けると気軽に遊びに行こうと言えるような現地の友達が全然いないということに気づいた。
まさに「あれっ?」みたいな感覚だった笑
悪くはないけどサッカーに全てをかけすぎていたというちょっとした反省。
そこで自分からアクションを起こそうと思って、大会で声をかけてくれた友達、アパートの前の屋台で1度だけ会って、同じスポーツ専攻ということもあり気が合った友人、留学初期に1人でレストランに行った時に頼み方が分からずあたふたしていた自分を助けてくれた友人など、友達にはなったけど関わりが浅かったいろんな友人にメッセージを送った。
「遊ぼう!」と。
そこからまた自分の交友関係が広がり始めた気がして、さあこれから!と感じた矢先、
の強制帰国指示だった。
なんとも言えない悔しさを感じた。
文章を書くのが下手なのでつらつらとまとまりの無い文章を書いてきたけど、やはり自分にとってはこんな留学の終わり方で、感謝を直接伝えるべき友人たちに伝えられなかったことが悲しかった。
周りの人から学ぶことが多すぎてとても濃かった8カ月間だった。
同じように帰国指示を受けて帰国した友達がほとんどだけど、みんなその人なりの感じ方があったはず。
少なくとも自分は
友達になってくれたインドネシア人
インドネシア語を教えてくれた先生
関わってくれた日本人留学生
一緒に勉強してくれた外国人留学生 など
この留学を通して出会った全ての【人】に
感謝したい。