サッカー人生と留学に至るまで

自分のこれまでのサッカー人生と留学をするに至ったまでを書いていこうと思う。

 

というのも最近はよく就活のことをする中で自分を振り返る機会が多く、ちゃんと言葉で残したいと思うようになった。

 

なんでこの2つの話を一気に書こうと思ったかというと、自分のサッカー人生における挫折と留学をしようと思ったきっかけに繋がりがあったからだ。

 

自分は幼稚園の時に友達に誘われてサッカーをはじめた。

 

そのまま同じチームで小学校も続けた。

 

怖いコーチがいたりしたけど、めっちゃ楽しくて最高の友達にも出会えた。

 

中学に上がった時にクラブチームに入るかどうかとなった時に、高校受験も考えてクラブチームには入らず、部活でサッカーを続けた。

 

全然強いわけでもない中学校の部活で、自分も大して何にも突出してない選手だった。

 

中学時代は特に大きな成績もなく、なんとなく引退まで迎えた。

 

高校に上がる時に、高校受験では苦労して県内の某I丘高校に受かり、その高校の文武両道という所にもすごく惹かれていた。そしてサッカーも公立校ながら県ベスト4のチームだった。

 

入部したときは自分の代だけでも30人近くの部員がいて、その中には中学からの同級生、小学校時代から有名な選手、とにかく面白そうなやつ、イケメンなやつ、色んな人がいて、これからの高校3年間がすごく楽しみになった。

 

高校に入ったばかりの頃は、毎日早起きして朝練をした。朝は弱かったけど練習が楽しみだったからとにかく頑張れた。

 

1年の頃はトップチームのメンバーに入れたりしたけどスタメンで出られると言うほどではなかった。

 

2年に上がった時からありがたいことに試合にスタメンで出られる事が増えて、ある日体育の先生でもあった監督に体育の授業中に声をかけられた。

 

「お前、国体とか興味あるか」

 

興味があるもなにも全く考えてない事だったから驚いた。セレクションっていう形で1回練習に参加する事になった。

 

入った時はとにかくアウェーだった。なぜなら周りは強豪私立やクラブチームの選手ばかりで、公立の選手なんて1人もいなくて自分だけだった。確実にプレーも周りに劣っていた。

そして確かに周りはえげつないぐらい上手くて内心びっくりした。

 

その中でも自分はとにかくモットーである必死でプレーすることを心がけた。

 

その結果そのまま練習に参加し続けることになったが、そこからが本当に大変だった。

 

厳しく、レベルの高い世界だったから当たり前だけど本当に周りからめちゃくちゃに言われた。悔しかったけど自分のプレーが要求に追いつかない時もあり、本当にやめたくなった時もあった。周りから認められてるとは全く感じなかった。

 

高校の中の世界ではそれなりにやれていたと感じていたから悔しくて、自分が見ていた世界は狭かったんだと思った。やってやるぞという気持ちになった。

 

それからは高校の練習に懸命に取り組んで、国体の練習で失敗して、また高校の練習に戻っての繰り返しだった。

 

でも、そうやってレベルの高い周りに揉まれて練習していくうちに自分が驚くほどメキメキ上達していくのを感じた。周りからどう見えていたかは分からないけど少なくとも自分の中では強くそう感じていた。

 

北信越国体で優勝した頃には周りから少しずつではあるが認められていったように感じていた。

 

その結果で本国体出場を決め、また練習が続いた。

 

それぐらいから徐々に練習が楽しみになっていった。そしてなにより自分のプレーに自信がついていったように感じた。そしてこの自信がいかに自分を強くさせていくかを身をもって感じていた。

 

そしてついに本国体を迎えた。

 

その頃には自分は覚悟を持ってピッチに入っていた。もう自分が周りに比べると公立高校のちっぽけな下手くそな選手だなんてことは意識の外にいっていた。

 

振り返ると、大してすごくもなんでもなかった自分がそんな全国のピッチに立てていることが信じられなかった。

 

あの時の入場のアンセムはいまだに忘れられず、自分を時に奮い立たせる。

 

最強のオフェンス陣のおかげで

青森県静岡県、と撃破して

最後は兵庫県に逆転負け、ベスト8で散った。

 

悔しかったけど、ここまでやりきった自分自身を褒めたかった。そして一緒にプレーしてくれた選手や監督スタッフ陣に感謝しかなかった。

 

その後は、高校のチームで練習や試合を重ね、3年の春に部活を引退した。

 

そして大学に受かり、早々とサッカー部に入ることを決めた。

 

しかしここからが自分のその後を変える大きな挫折経験だった。

 

大学のサッカー部に入ることを決めて、プレーし始めた時に急にサッカーへの自信を失ってしまったのだ。

 

すごく自分が信じられなくて、部活としてのサッカーから離れるという決断は苦しくてしょうがなかった。期待してくれていた人に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

だけどそれ以上続けると自分がサッカー自体を嫌いになりそうな気がして部活からは離れる決断をした。

 

では、なぜ急に自信を失ったのか?

 

悪くいえば、自分が過去の栄光にすがりついて調子に乗っていたのだ。天狗になっていた。

だけど自分はまだまだ下手くそだった。

 

1年で入ってもすぐにレギュラーになれるだろうと完全に甘く見ていた。

 

そんな自分の【弱さ】が、部活に入ったことによって、完全に露呈してしまった。

 

でも逆にいえば、ほんの1時期だけでも部活に入るという決断をしていなければ自分はこの弱さに気づけていなかったかもしれない。

 

それ以来は必ず謙虚に生きていこうと決めた。

 

実際になんの行動にもうつせていないとしても心の中ではそう誓った。

 

こんなにカッコつけて書いているけど部活を離れるという決断は周りから見ると、ただ部活から逃げただけだと思われるかもしれない。自分はそう思われても全然構わない。

 

逃げることも時には自分にとっての1つの正解になる事もあると気づいたから。

 

部活を辞めなければ留学という自分が本当に没頭できるような世界に出会うことはできなかったからだ。

 

部活を続けていればそれはそれなりの収穫もあったはずであり、それも自分の正解になっていたと思う。

だけど存在する正解は1つではない。

 

部活のような新しい集団に入って新しい人達を目の当たりにしてようやく自分の【弱さ】に気づけたというのがすごく大きかった。そしてそれを機に自分の知らない自分がまだまだいるんじゃないかと思った。

 

だからもっともっと新しい人や世界に飛び込んで自分を知っていきたい。そう思って留学という世界を意識するようになった。

 

ここまでが留学を意識するようになった話で、ここからは実際に交換留学に至るまでの話だ。

 

自分の所属する学部は短いものから長いものまで期間は人それぞれだが必ず海外に行く経験をしなければならないというプログラムがある。

 

そういうわけで自分も1年の夏にフィリピンのセブに2週間語学留学で海外に行くことに決めた。本当にその時はただ、近くて安くて土地も楽しそうだなとそんなにこだわりもなく決めた記憶がある。

 

平日の朝から夜までの英語マンツーマンレッスンに加えて、週末に自分は大学の先生に勧められた日本のNGO団体を通じた現地のストリートチルドレンと交流する活動に参加することにした。

 

結論から言うと、本当に楽しくて学ぶことの多すぎる2週間だった。そして東南アジア・フィリピンの空気が完全に自分にフィットした。笑

 

英語の勉強をするのがとにかく楽しかった。もっというと英語を使って先生と会話をするのが本当に楽しかった。英語の楽しさを教えてくれた先生たちには本当に感謝したい。

 

今でもたまにテレビ通話をするような間柄で、本当に面白いフィリピン人だ。笑

でも自分の人生を変えてくれたと言っても過言ではない。

 

もう1つはストリートチルドレンとの交流だ。

参加前に現地コーディネーターに話を聞いていると、昔中華系の富裕層が作った墓地に住み着いているということだった。どういうことなのか全く分からなかった笑けどすごい状況だということは伝わった。

 

そして自分の頭の中では勝手に、暗くて元気を失った子供たちだらけなのだろうと思っていた。

 

だけど墓地に入ると自分の勝手な想像はすぐに砕け散った。初めて会う日本人にいきなり飛びついてくるような子供たちだらけだった。一緒に踊って歌って炊き出しをして、気づけばあっという間に帰る時間になっていた。自分がこんなにも楽しむ時間になるとは行く前には全く思っていなかった。笑

 

そこでの活動を振り返って、こんなにも住む環境が厳しくて、十分とは言えない生活を送っている中でもあんなに元気に笑顔いっぱいで生きている子供たちを見てすごく心が打たれた。

 

そしてそれと同時に将来は間接的であれ直接的であれ絶対にこういう子供達を救いたい、そして可能性を広げてあげたいと思った。

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こうして1度目のフィリピン渡航は終わり、あまりにも楽しかったから、大学2年の夏は全く同じところに全く同じプランで個人的に行くことに決めた。今回は1ヶ月にした。

 

語学学校は変わらず楽しく、しっかり英語の勉強をした。

 

そして、1年越しに同じ墓地を訪問した。

すると何人かが1年前にたった1度だけ来た自分のことを覚えていたのだ。感動して、彼ら彼女らが自分にとっては余計に輝いて見えた。

 

そして今回は初めての1人旅を決めた。

フィリピン・セブからは少し離れた

シキホール島という今でも黒魔術伝説が残るという島にリュックを1つ担いで行った。フィリピンの公用語は英語とはいえ、ローカルな地域はアナウンスも標識も全部現地のタガログ語で書かれているため、本当にさっぱりだった。

 

目当ての場所に行くっぽいバスに乗って本当に着くのかとソワソワしながら不安で一睡もできず無事フェリー乗り場に到着した。しかし、そこからが全くどこに行けば分からず迷子になって、自分は一生ここで置き去りにされるのかと不安になった。

 

そこである家族が自分に話しかけてきてくれた。「 Oh , Japanese?」みたいな感じで笑

ちょっと怪しい人かなとか一瞬頭をよぎったけどそんな事を考えている余裕はない、「Yes! シキホール島に行きたい!」と伝えた。すると彼らは偶然同じ島に行く家族だった。

 

それからフェリーの乗り方、チケットの買い方、など全部教えてくれて一緒にやってくれた。優しい、、そう思った。

 

そしてフェリーに乗った後に一緒に座っていると長旅で何も食べていないことを察したお父さんが肉まんを家族の分だけではなく自分にも買ってきてくれた。ビックリした。お金を払うよといっても要らないよと言ってくれた。

 

どうしてこんなさっき会ったばかりの、一生会わないであろう日本人にこんなにも親切にしてくれるんだろうと感動して、それまで不安だった事もあって肉まんをかじりながら泣きそうになった事をいまだに覚えている。笑

 

そして無事出発から約12時間かけてようやくお目当てのシキホール島に到着した。

ここからが本当の旅の始まりだというのにもう旅をやりきった気持ちでいた。笑

 

到着してその家族とは写真だけ撮って最大限の感謝を伝えて別れた。

 

着いたのがもうほぼ夕方なのに宿を決めずに飛び込んだせいで結構あせっていた。そこで到着したフェリー乗り場のお兄ちゃんに聞くと日本人が経営するVilla(コテージみたいな宿泊所)があるよという事なのでそこに連れてっていってもらった。

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到着するとフィリピンの子供達に案内されてすごく優しそうな日本人のおじちゃんの所に案内された。ダーマンと子供達から呼ばれ、慕われていた。

 

なんとか1部屋だけ空いているという事で、そこに1泊できることになった。

 

その晩はダーマンや他の宿泊客も含めてみんなでご飯を食べた。

 

話を聞いているとダーマンは元々日本で教師をしていて、今は、シキホール島の小学校にたくさんトイレを作ったりしている有名な日本人らしく、そこで働いている子供達もダーマンからの教育費の支援などを受ける代わりに住み込みで働いているという話だった。そして彼らはすごくいきいきしていて、過去にはそこから日本に留学に行くことになった子供もいると言っていた。

 

単純にダーマンがカッコいいなと思った。そんな人になりたいなぁと感じた。

 

旅で疲れていたけど次の日の朝8時から、その子供達にテニスをしよう!と誘われた。別にテニスは得意ではなかったけどせっかくの機会だから「やろう!」と答えた。

 

その日の朝のテニスは今までで1番楽しくて、最高の汗を流した。

 

そしてその後は1日しかない島観光で有名な場所をとりあえず制覇していった。

 

その中でまさかの出来事が起きた。

 

自分が訪れた天然ドクターフィッシュの観光地で自分を助けてくれた家族にまたしても遭遇したのだ。やっぱり人の縁ってあるんだなと強く感じた。

 

その時にFacebookを交換することになった。その後は何度か連絡をとったりもしている。

 

いつか彼らに何倍も大きな恩返しをできればなんて考えている。

 

そんなこんなでその旅が終わった。

疲れた以上に得られるものが多い旅だった。

 

日本に帰る時にやっぱり1ヶ月が短すぎる、もっと現地で出会った人と深い関係を築きたい、と思った。

 

そして東南アジアの他の地域にも関わってみたいと思うようになった。

 

そんな考えから、結果的にインドネシアという国に交換留学に行こうと決めた。

 

そしてその土地でもまた新たな出会いや発見が得られた。

 

ここまでが留学に至るまでの流れだった。

 

このサッカーの経験と留学までがほとんどこれまでの自分の人生そのものと言ってもいいと思う。

 

これからどんな人生が待っているのかは分からないけど、まだまだ楽しいことが起こるだろうと確信している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドネシア留学生活を振り返って

約2ヶ月半程前に大学から突然1通のメールが来た。

 

コロナウイルス流行の状況を見て全学生に帰国指示を出します。」

 

正直すごく悔しかったし、めちゃくちゃ泣いた。インドネシアという土地を突然離れなければいけない事になって泣いた時にやっぱり頭に浮かんできたのはサッカー部をはじめとした現地で出来た友達の事だった。

 

人を想ってこれだけ涙を流せるほど自分は国籍も言語も違う彼らに心を許して仲良くなり、一緒にいる時間を心から楽しんでいたんだと自分の涙で再確認した。

 

なので、インドネシアで自分が感じた【人】との経験をとにかく書き並べて記録として残しておこうと思う。

 

そういえば、自分の3日坊主癖が出て(笑) 留学開始直後に毎月書くと言ったブログも1回で終わっちゃってて反省しているのでここにはしっかり書ききっていきたいと思う。

 

そもそも自分が留学に来た目的として持っていたのはとにかく現地コミュニティに馴染みたい。たくさん友達を作りたい。その中で色々感じとりたい。っていうもので、正直勉強の面なんかは二の次ぐらいに考えてた。

 

(留学ということを考える契機に関しては次の記事で書いてみた。)

 

現地に着いて

さぁ、どうやって自分の目的を達成して行こうかって考えた時に、やっぱりサッカーしかない!ってすぐ思った。

 

友達経由でひとつフットサルコミュニティを紹介してもらって、そこは1週間に1度の練習だったしみんなでワイワイって感じだった。初めての時はとにかく現地人とフットサルをすること自体が新鮮だから自分も楽しんでいて、せっかくの留学でもっと遊ぶ時間とか自由な時間も確保したいからそれぐらいでいいかなぁって思ってた。

 

だけどなんとなく心の中でそれだけじゃダメな気がするとは思ってはいた。

 

その時に現地で出会った日本人の先輩が一足先に大学のサッカー部に参加していてその練習に誘ってくれた。

 

最初はめちゃめちゃ緊張して、勝手に頭の中でチームに対する悪いイメージを膨らませてた。(怖くて無愛想な人多いのかなみたいな笑)

 

すでに出来上がっているコミュニティに急にスポンって入るのはどんな時だって緊張するし大変なことだと思う。ましてや今は国籍も違う。

 

だけど部室に初めて顔を出したらめちゃめちゃフレンドリーな人ばかりで自分の勝手な妄想を恥じるほどだった。会ったら毎回必ず最初に握手するけど、これって現地で毎日何気なくやってた気がするけどちゃんと考えると心を通わせるっていう意味でもすごくいい気がするし日本でも取り入れて欲しい(笑)

 

初めて参加した日、練習かと思いきやいきなり外部の大学との練習試合の日だった。

そして背が小さくて怖そうな監督にポジションはどこだと聞かれ、右サイドバックと答えた。この受け答えはまだ覚えている。

(監督Pak DiDi:今ではユーモア溢れる面白い監督だと分かっている笑)

 

そしていきなり試合に放り出される。

 

でも出るとなったら全力でやろうと、自分の持ち味であるとにかく走り続けるプレーを徹底した。

 

試合を終えて、プレーを通してさらにみんなと近づけたんじゃないかなとなんとなく感じた。

 

くさいけど

やっぱりスポーツってすごい。サッカーやってきてよかった。って感じた笑

 

その日の試合が終わると「部活に入部しようかなどうしようかな」、なんて考える暇もなく「次の練習が楽しみだな」っていう気持ちに変わってた。

 

それから何度目かの練習で、1人の部員に声をかけられた。「お前、FIB(所属学部の名前)だろ?俺もFIBで、学部のサッカー・フットサル部の監督をやってて、数ヶ月後に学部対抗の大会があるんだよ!明日練習来いよ!朝7:30な!」って言われて「早っ」と思ったけどまあ暇だし行こうかなって思って次の日の朝早起きして10分前に練習場所に着いた。

 

 

「・・・誰もいない。まあまだ時間じゃないしな、、(10分後)・・・誰も来ない、、、(30分後)・・・あ、誰か来た」

 

こんな感じだった。普通に自分が場所を間違えたかと思ったけど今考えるとこれが現地人感覚だ笑

 

そして昨日めっちゃかっこよく誘ってくれた監督は練習に来なかった。このやろう。笑

 

本来の練習開始時刻7:30から結局1時間ほど経ってようやく5人ほど集まって練習開始になった。時間のルーズさすさまじいなって思った。笑

 

だけどそんなに開始遅れたのに練習に入る前は入念に30分ぐらいジョギングとストレッチしててかわいいなって思った、、笑

 

そんなこんなでその日のトレーニングはただただみんなでワイワイボールを蹴って落ちてる木を集めてゴールを作ってミニゲームとかもした。グダグダすぎて、大会見据えてるならこりゃダメでしょ、、、って感じたけど

 

彼らは何よりめちゃくちゃ楽しんでた。笑顔だらけだった。そこで自分も少し嬉しい気分になった。

 

その日は10時くらいに練習を終えて、みんなでご飯を食べようぜって話になっていて、なんだかよくわからないけど誘われたから元気にOK!って答えた。

 

みんなで、大学の学食にいって、ソトっていうシャバシャバなおかゆみたいな現地フードを初めて食べた。

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その時の味はいまだに結構ちゃんと覚えている、めっちゃ美味しかった。

 

こんなに何人ものインドネシア人に囲まれてインドネシア語しか聞こえない中でご飯を食べるのはその時が初めてだった。

 

何を話してるのか本当にさっぱりだったけど、なんか楽しかった。そう覚えている。

日本のこと、特にアニメのことを色々聞かれたけど自分がアニメに詳しくなくて答えられず申し訳なかったのも覚えている。笑

 

そして自分も帰る頃にはこの会話に絶対入れるぐらいインドネシア語話せるようになってやるぞと意気込んだ。

 

そのご飯の帰り、チームメイトに家はどこだと聞かれ、住所を言うと、元気ボーイが(学部代表バンドのボーカル)「乗せてってあげるよ!」と即答で言ってくれた。

 

分からないけど日本で同じ状況だとなんとなくスッと先に帰ったり躊躇したりする人も多いんじゃないかなと思う。だけどそうやって何の見返りも求めず人の役に立てる所が本当に素晴らしいと思ったし、ますます自分もそんな人間になろうと思わせてくれた。

それはフィリピンの時にも感じた部分だけどやはり東南アジア人のすごく好きな人間性のひとつだ。

 

それからは学部のサッカー部の練習・試合、学部のフットサル部の練習・試合、大学のサッカー部の練習・試合まで多い時は週に5回も活動した時もあったけど全く苦じゃなかった。

 

めちゃめちゃ楽しかった。部活に加入して良かったと心から思えた。

 

そうして毎週朝早起きして練習や試合を積んでようやく迎えた学部対抗のサッカー大会。

 

初めての練習の時あんなにグダグダでどうなることやらと思っていたけど初戦の日の朝はすごくピリピリしていて、あの時と比べると、どうしたみんな、って思う程だった。笑

 

無事初戦突破。

 

そこからチームは勢い付いていき、

結果は20チーム中

チーム初のベスト4

 

最後に負けてしまったのは悔しかったけどトーナメントでここまで勝ち上がって来れたのはすごく嬉しかった。

 

この大会を通していくつか感じたことがある。

 

現地大学生のサポーターの熱量が半端じゃない。笑 言い方が少し悪く聞こえるかもしれないけどただの学部のチームのためにそんなに選手以外も熱量を注げるってすごいなって思った!日本だったら絶対ない気がする笑

このサポーターがいるおかげで、雰囲気はただの球技大会ってもんじゃない感じになる

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↑優勝チームのサポーター

 

そして自分はこの大会で得点王になった。

なんか実感は無かったけど嬉しくって、今振り返るとこのことがすごく自分のその後をプラスの方向にどんどん変えていった気がしている。

 

というのも、この大会にはそれぞれの学部の代表としてたくさんの大学のサッカー部の友人が参加していた。

 

この結果でどんどんチームメイトに認めてもらえていった気がした。大学サッカー部の練習の中でもチームメイトとの距離がグッと近づいたようなそんな感覚だった。

 

そして2つ目は、ある1人の友人の存在だ。

得点王を取ったその日敵チームのカメラマンをしている学生が話しかけてきてくれた。

日本のことも好きで、話も弾みその日のうちに連絡先まで交換した。

 

つい先日、「近々日本に留学するための試験に挑戦するから色々日本の教育のことを教えて!」ってメッセージを送ってきていた!

彼と日本でまた一緒に遊べることをすごく楽しみにしている!

 

彼との出会いから、まさにサッカーが人と人とを繋いだ瞬間だと感じた。

 

そして次には学部対抗のフットサルの大会がやってきた。

 

この大会に向けてもみんなで練習や試合を積んできて満身創痍で初戦に挑んだ。

 

相手は

Geography

友人の長身イケメンオランダ人擁する強チームだった。彼にまず2点を取られて、なんとなくチームみんながもう終わったという雰囲気だった。

 

だけどそこから1点、また1点と取り返していき、気づいたら3-2で勝っていた。

 

みんなでめちゃくちゃ叫んで喜んだ。最高だった。

 

そこからチームは軌道に乗って、気づけば決勝まで来ていた。

 

相手はサッカーの部でも優勝した

「VOKASI」

ちなみに相手キーパーは大学生ながらインドネシアのプロチームでプレーしている爽やかボーイ Fani だ。

 

結果、勝利。そして学部史上初の優勝。

 

試合終了のホイッスルが鳴った時、かなり痺れた。こんなに心を震わす経験は自分の人生の中でも数回しかないと思う。少なくともサッカーを通したものはこれが最後じゃないかな

 

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心の中ではもうこの大会をただの学部対抗の球技大会だとは全く思ってなかった。

そして、こんなに最高の仲間と優勝できたのは一生の思い出になると心から思った。

 

大学のサッカー部で活動して日本との違いとしていくつか感じたことも書いてみたい。

 

やっぱりさっきも書いたけど時間にはルーズ、良く言えばマイペース(笑)そして練習の参加率もそれほど高くはない。そこが日本の大学との1番大きな違いかなと思った。

 

でも実際に自分が感じた葛藤として、たった1年間留学しに来た日本人が時間のことをとやかくいうのはチームメイトであるインドネシア人たちの特色とかマイペースさとかを否定してしまうようであまり言いにくかったというのがあった。

 

だけど、時間を守るって当たり前のことじゃないかって感じる自分もいながら、土地によって当たり前は違うよなとも思って、何が正しいのか分からない時期が続いた。

 

そこで、結果的に辿り着いたのがすごくシンプルだけど自分がしっかり毎回の練習に遅れずに参加するっていうことだった。そして練習が始まる前にはグラウンドに入ってボールを蹴るようにした。

 

とにかくこれを続けたら、監督から褒められることも増えたり、同じようにしてくれるチームメイトも増えていった。

 

そして帰国する頃にはそういう面で規律をもたらしてくれたって評価してくれるチームメイトがたくさんいて、自分がやっていたことは間違っていなかったのかなと思えた。そして何より、行動で示していたつもりの彼らへのメッセージがしっかり伝わっていたことを確認できて益々嬉しかった。

 

他にも人間関係で自分が感じた事がある。

 

大学の1学期と2学期の間の休みの時期。部活も休みの期間があり、今までは部活に所属して、本当にたくさんの人と関わりを持って充実していたように感じたけど、その部活がすっぽり抜けると気軽に遊びに行こうと言えるような現地の友達が全然いないということに気づいた。

 

まさに「あれっ?」みたいな感覚だった笑

悪くはないけどサッカーに全てをかけすぎていたというちょっとした反省。

 

そこで自分からアクションを起こそうと思って、大会で声をかけてくれた友達、アパートの前の屋台で1度だけ会って、同じスポーツ専攻ということもあり気が合った友人、留学初期に1人でレストランに行った時に頼み方が分からずあたふたしていた自分を助けてくれた友人など、友達にはなったけど関わりが浅かったいろんな友人にメッセージを送った。

「遊ぼう!」と。

 

そこからまた自分の交友関係が広がり始めた気がして、さあこれから!と感じた矢先、

 

の強制帰国指示だった。

 

なんとも言えない悔しさを感じた。

 

文章を書くのが下手なのでつらつらとまとまりの無い文章を書いてきたけど、やはり自分にとってはこんな留学の終わり方で、感謝を直接伝えるべき友人たちに伝えられなかったことが悲しかった。

 

周りの人から学ぶことが多すぎてとても濃かった8カ月間だった。

 

同じように帰国指示を受けて帰国した友達がほとんどだけど、みんなその人なりの感じ方があったはず。

 

少なくとも自分は

友達になってくれたインドネシア

インドネシア語を教えてくれた先生

関わってくれた日本人留学生

一緒に勉強してくれた外国人留学生 など

 

この留学を通して出会った全ての【人】に

 

感謝したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年間インドネシア留学生活 (1)

今日からたまにインドネシアの生活で感じたこととか面白いなって思ったことを書いてきます。

 

もう詳しい人からしたら当たり前やん。ってなることも多いかも知れないですけど興味ある人は読んでくれたら嬉しいです、、

 

本当は1ヶ月とかに1回ぐらいのペースなんやろやけど特に最初は初めてだらけのことで書くことも多いから約1週間経ったこのタイミングで書こうと思いやす、、

 

留学に至る経緯とかはバックグラウンドとか大学入ってからの生活とか関わって来た人の影響とか色々とありすぎるから、、、

ざっくり言うと、

東南アジアが好きやから!

っていうところに留めておいて、ここでは

 

とにかく

生活の中で感じた自分的ハイライトを!!!

 

到着した日の夜にホテルの5階の部屋で

そこそこの揺れを感じる。

初夜やった分余計に焦りと身の危険を感じたけど無事でした。震源ジャカルタあたりはM6.9で避難指示とか出るところもあるぐらいひどい揺れやったみたいで汗汗の汗

とりあえず、大幸先悪し。でした

 

普通留学する時の住まいっていうのはどこの国も日本にいるうちに決めて行って現地に着いてそこに入居するっていう感じがほとんどやと思うんやけど、インドネシアの場合は大体、現地に行って直接kos(コス)って言われるアパートみたいなところを回って声かけて住むところを決める。っていう流れになってまして、自分もそれをやりました。

 

その時に手伝ってもらったのが先輩から紹介してもらった、インドネシア人の女の子「ジュジュ」しっかり者の大学5年生です。笑

 

日本に留学経験もあってある程度日本語も話せるし、すごい心強かった。そしてそのコス探しはジュジュのバイクの後ろに自分が乗って回ることに。笑

 

結果10軒以上コスを回って、

大体は

我「空いてますか?」

ネシアン「埋まってます」or「女子専用だよ」

でした。なんでかっていうと、コス自体は多分全体で見るとたくさんあるんやろうけど自分が条件として掲げたのは

・温かいシャワー

・エアコン

Wi-Fi  

だった分、こっちの土地にしては結構好条件だったからという推測。

 

そして最後に見つけたところがここ。


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条件全て揃っとる!

けど床にはアリが歩いとる!

(まあいいや!掃除しといて!と言わんばかり)の勢いで決定。

 

値段は3ヶ月分先払いで4950000ルピア

日本円にすると1ヶ月あたり12000円ぐらい笑

安い。けどこっちの物価だとそんなもん。

 

結局次の次の日ぐらいから入居したわけやけども入居初日の晩シャワー浴びようとして

あったかい方何回ひねり直しても水しか出ず、

覚悟を決めて水浴びでシャンプー&ボディソープをする。

 

でも心なしか、上がって体拭いてベッドに倒れると体がポカポカする感じがする、、現地の人は水で日常的にシャワーを浴びるけど、その気持ちがわかった気がするという勘違い寄りの勘違い。まだ気持ちを共感するには早い気がする笑

 

普段の生活はというとまだ本格的に授業が始まってないからなんとも言えんけど、大抵は朝4:30頃にモスクのスピーカーから大音量で流れるお祈りの音で眠りが深くない日は大体起きてしまう。そこから二度寝

 

ご飯は、現地のものは全然口に合う。

有名どころでいうと

ナシゴレン

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ミゴレン

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辺りは全然美味しく頂けますという感じ。

 

言語の面はめちゃめちゃめちゃ大変。

今まで海外はフィリピンが主やったから、まだ公用語が英語なだけあってフィリピンでは普段でも英語で会話できるところがほとんどやけど、インドネシアはそうはいかず、買い物に行っても大家さんと話すのもバイクタクシーの兄さんと話すのも全てインドネシア語

別に日本でインドネシア語専攻な訳でもないしちゃんと勉強していっとった訳でもないから

 

マジで分からん。呪文にしか聞こえん。

 

というのが率直な感想。日本に来た外国人観光客がゴリゴリ日本語で話されてあたふたする気持ちが十分にわかった。

 

でもインドネシア語は絶対役に立つと思うし世界で1番簡単な言語って言われるぐらいやからこの先数十年のインドネシアのさらなる急成長を見込んでこの1年間本気でインドネシア語習得に尽くすことにしました。

(前期は特に学問的なことはやらずにそこだけにフォーカスしよう、、と)

 

でも言語の面で言ってもプラスなところもいくつかある。自分の大学の学生は英語話せる分意思の疎通は今の段階でも取れるし、オーストラリア、ドイツ、韓国とかから来た留学生の人達とも英語で会話できるし、インドネシア語習得の傍ら英語力の維持もできる。そして何よりインドネシア親日国なだけあって、ちょっとでも日本語話せる人とかたまに日本語ペラのペラな人とかがちらほらおる。

 

普段の生活で他ビビったのは、ある日ジュジュとまたバイクに乗せてもらってこの町で1番大きい通りに行ったら、普通に道路を馬が走っとる。嘘やん?って思ったけど嘘ではなかった。笑

馬って言っても単体じゃなくて馬力車(人力車的な)のようなやつ

道端にも大量の馬待機しとって偉いなあと

 

コスから学校までの移動は

Grab かgojekっていうアプリを使ってバイクタクシーを呼んでケツに乗って片道70円ぐらいで

行くという感じ。

完全にそういう部分もアプリ化(?)してて、発展を感じた。というのもフィリピンの時は自分が歩いているとバイクタクシーの運転手がこぞって声をかけまくってきて毎回毎回それを断る必要があったから、その分今は街中で声をかけてくる運転手は今のところ1人もいなくて、小さなストレスを感じなくて済む。

でも裏を返せばデメリットもあって、直接grabとかgojekのお兄さんに声をかけても絶対にアプリを通してじゃないと乗せてくれない。

そのせいでこの間、自分が携帯のデータを使い切ってしまって外でインターネット使えなくなった時にアプリでバイクタクシーを呼べなくって、家まで帰れなくなって若干パニクって学校の先生に助けを求めたという事もある笑

 

でもやっぱり現地の人は何よりフレンドリーですっごい住みよい。バイクタクシーの運転手のおっちゃん達もめっちゃ話しかけてくれるし(何言っとるか分からんけど。笑)大家さんも優しい。運転手はいつもコスに呼んで来たらもう会話の入りからいきなりインドネシア語で普通に話しかけてくるけど、他の日本人の子の話を聞けばみんな会話の入りが「Japanese?」みたいなところかららしいから、俺やっぱ現地人に本当に顔似とるんやなと再認識。笑

 

現地の学生とご飯とか食べに行って感じた事もいくつもある。イスラム教に対するイメージって少し怖いとか色々あったけどめちゃめちゃ好意的になんでも教えてくれるし深いところまで知れた気がする。食べてはいけない豚の話とか、飲んではいけないお酒の話とか、リアルな部分をすごい聞けた気がする。(ここには深く書かんけどもし聞きたい人いたら教えてください笑)こういうのも直接行かないと学べなかった事だなと思いますた。

 

それから、もちろんインドネシアにも物乞いとかお金を求めて来たりする貧しい方とかも少なからずおるけど、そういう人に対して、日本のウェブサイトとか、学校とか、観光ガイドとかは基本的には「絶対にそういう人にお金を渡してはいけません。」っていう言い方をするけど、フィリピンの時の仲良かった先生と一緒に出かけた時にも今回インドネシアの学生とご飯行った時にも感じたのは、さりげなくお金をちょっとでもそういう人に分け与えてたっていう部分から、宗教的な考えもあるんやろうけど、現地の人ほど、そういう貧しい人達に優しいっていうところにすごい感動したしそういうとこにこそ自分は東南アジアの魅力を感じとるんやろなぁとつくづく思った。

 

自分も絶対同じような人になろうと心から思った矢先に、、、

今日学校帰りにコンビニ行って出たら男女2人組の人達が声かけて来て、どうやら聞くと、子供の就学支援とかをしとる団体の人達みたいで、実際にレストランとか整骨院とか化粧品店の協賛も得ながら活動をしとるって事で、あんまり疑いの目でかかるのも良くないけど、自分も騙されて募金はしたくないし、ちょうど自分も子供の貧困支援は興味があるし、普段具体的にどういう活動しとるかとかも冊子見せてもらいながら聞いて、団体名も確認して少額やけど寄付させてもらいまして、少し自分も勝手に徳を積んだ気持ちに。笑

 

その Yayasan Kanker Anak Indonesia

(ちょうど今日  Anak:子供  っていう意味って勉強したからテンションあがり申した)

っていう団体のパンフレット

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ていう感じで色んな人との出会いとか街中でのビックリ場面とかたくさんあってここに書ききれない事も含めてめちゃめちゃ濃いFirst weekでした、、これからまだまだ試練はいくつもあるやろうけど乗り越えて早く現地人化出来るように頑張ろう🔥🔥🔥🔥🔥🔥